シアターコクーン『七人ぐらいの兵士 』

7月25日、Bunkamuraシアターコクーンにて、『七人ぐらいの兵士』を観てきました。
http://cubeinc.co.jp/stage/info/7ningurai2015.html

明石家さんまさんが60歳になるこの2015年、どうしても生でさんまさんが観たい!と思ったからです。2008年の27時間テレビ以降、「還暦でテレビから引退する」と語っていたさんまさん。爆笑問題太田さんの「かっこいいまま引退しないで、最後までみっともないところ見せてくれ」という趣旨の発言をうけて、60歳での引退を撤回してくださったとはいえ、現役の輝きを放つさんまさんは、ぜひとも生で観ておきたかった。
どうせなら27時間の前後がいいなあとチケットを申し込み、東京千秋楽は当たらず、前楽に。
およそ10メートル先にさんまさんが存在して、マイクなしの生声で演技をしているというのは、まったく奇跡的な時間でした。

3時間休憩なしの舞台、出演者もセットも必要最低限で描かれる戦場の悲喜劇は、すさまじい脚本でした。が、それを上回るのが、さんまさんの存在感と、圧倒的な面白さ。
初登場シーンでは、かすれていた声が、どんどんくっきり滑舌がよくなっていく。シリアスなシーンにはさまれる、いくつものコント的なコメディシーン。上演時間の「3時間ぐらい」という表示にもあるとおり、おそらく、毎公演アドリブだからでは? 毎日、その場その場で即興で広げて、客席を爆笑に包んでいるんだろうと想像し、頭の回転の速さと笑いの引き出しの多さ、呼吸のうまさに感動しました。

主役である若葉レフト・ライトのふたりをはじめ、同じ分隊の兵士たちが、何度もお笑いの練習をしたり、漫才を披露したりするシーンが繰り返されるのだけれど、最初のうちは、分隊の兵士たちのへたくそな笑いのズレかたに笑い転げ、若葉レフト・ライトの笑いの巧みさにお腹をかかえていればよかったものの、徐々に、その笑いの影に悲壮さや、決意、状況と運命の皮肉が背負わされていく。そして「笑い」にこめられる願いや決意が重く哀しくなればなるほど、分隊の兵士たちの漫才は上達していってしまう。笑えるのに、涙があふれてくる。すごい脚本、演出だったし、素晴らしい演技だった。

ラストシーン、通信兵が「七人ぐらい」というセリフは、それまでに死んでいった分隊の仲間や軍曹を計算にいれた数でもあり、こんな状況でも笑わせなければという決意が秘められており、見事だった。
最後の最後で、特攻するのではなく、漫才を披露しながら死んでいく、若葉レフト・ライトのかっこよさ。あのさんまさん、生瀬さんの背中のシルエットを思い出すだけで胸がつまる。
そうこうして泣いていたのに、最後の挨拶で出てきたさんまさんは、劇中で小道具に使っていた、真紅のチャイナドレスを着てすまして登場するから、もうかなわない。こんな笑いの天才と同じ時代に生まれて、その活躍をほぼテレビで追いかけながら生きてこられてよかったと、運命に感謝した。

笑って、泣きながら、以前書いたシナリオのことを思い出していた。
あれはさんまさんの27時間テレビの翌年、2009年だった。
「ある芸人が、知り合いの子供の笑顔を守るため、子供の家族を殺した強大な魔物に挑むが、命を落とす」という設定だ。当時のディレクターの好みではなかったようで、ずいぶん議論し、ケンカもした。ディレクターの意見は「設定自体が好みでない。芸人なんてかっこわるいし、魔物に挑むシーンで剣を持たずにお笑いを披露して犬死にする、その意味がわからない」というものだった。
結局、私が折れて、芸人は魔物に挑む際に初めて剣を持ち、敗れる……というエピソードに変更したのだが、『七人ぐらいの兵士』を観たあと、やはりあそこは、「戦わずに、芸を披露して、笑わせて追い払おうとする(が、失敗はする)」という話にしたほうがよかったのだと、しきりに後悔した。
最後まで芸人として、笑わせようとしたほうがいいと、自信を持って、もっと主張すべきだったのだ。

『七人ぐらいの兵士』は見事な舞台だった。ここまで面白いものなら、胸を張って、自分はこれが面白いからこうしたいのだと、語ることができるんだろうと、そう感じた。
そうして、自信をもって主張できるぐらいに、自分を信じて面白いものを書かなければならないとも感じた。

2008年の27時間テレビ。面白さがずっとずっと続く、奇跡のような時間に、当時の私は、いや、今でも私は力をもらっている。
『七人ぐらいの兵士』、とても、とても面白かったです。
明石家さんまさん、還暦おめでとうございます。